何の意味もないですし、人生において何の役に立つのかすらもさっぱり分かりません。
学校と家の行き帰り
朝から学校に向かい夜の帰って、あとは明日の準備をして寝るだけの生活を淡々と送るの繰り返しを3年間送ることは、他人から見れば異常と思えます。
それだけ毎日頑張っているのに、一流大学に合格する割合が非常に低いことを考えると、やはり効率が悪いのでしょう。
思い出はトラウマ
自称進学校を通った思い出は楽しかったというよりも、「苦しくてつまらなかった」といったネガティブな意見であることが多く、思い出はトラウマだと嘆く人もいます。
同級生は恋愛や夜遊び等で青春を楽しんでいる中、自分だけ頑張る姿は辛いものです。
まずは見た目から
自称進学校は中身が伴っていないので、まずは見た目から入ることでその気に浸り、まるで自分たちはエリートであるかのような錯覚を起こす人もいます。
制服でも高級なものを使っていたり、教材だって身の丈に合わないようなものを使用するなど、まずは見た目から入るのが自称進学校です。
クソ教師が多い
クソ教師が多いとの表現は口が悪いように思われるかもしれませんが、それくらいに教師に対して良いイメージを持っていなくて、顔を思い出すのも嫌になる人もいるほとです。
故に自称進学校の卒業生は、「尊敬できる教師が羨ましい」とか「尊敬できる教師がいなかった」と嘆くことになりがちです。
プライドが高い
自称進学校で毎日を忙しく過ごしていると、やがて視野が狭くなることで同じレベルでの争いが起こるわけですが、これは所詮小さな世界の中のでの争いです。
そうなると結果的に、模試などの大きな世界との戦いとなった時には、自分が凄い人物ではないことを知らされることになる反面、自称進学校であるプライドが邪魔をして、それを認めることが難しくなります。
ブサイクが目立つ
自称進学校は昔からブサイクが多いと言われていますが、これは校則が厳しいことも関係していると考えるのが妥当です。
男らしさや女らしさを強調できませんし、女性に関しては一番の武器である化粧もできないわけですから、どうしても周りの同級生と比べるとブサイクに見えてしまうのです。
半洗脳状態
こうした厳しい学校生活を送ることで、徐々に半洗脳状態となってしまうわけですが、これは本人から親に伝染してしまうこともあります。
こうなればもう最悪で、客観的に見れば腐った環境である現実さえも全て正当化することで、苦い学校生活を送ることにもなりかねません。
課題は入学前から
課題は入学前からかなりの量を出されてしまい、入学前から学校に行くのが嫌であったり、ネガティブな感情を持ってしまった人も絶えずいます。
人はそもそも悪い部分が見えると良い部分が見えなくなる性質があるので、入学前から悪い部分ばかりが見えてしまうことは、学校生活を楽しむことなんてできるわけがないのです。
強制の勉強合宿
全員が強制参加の勉強合宿が行われますが、これも全く意味のわからない合宿で、なぜ全員が強制的に同じレベルで勉強をこなしていくのか、理解できません。
自称であっても進学校を売りにしているのですから、もう少しマシで意味のあることをしてもらいたいものです。
学校側の実績重視
国立主義でも述べましたが、自称進学校は実績が欲しくて仕方のない学校であるため、偏差値が低かろうが国立に出て欲しい方針ですし、そこに受かれば学校側としては大満足なわけです。
生徒よりも学校の実績を重視する学校など、高いお金を払っていく価値がないと言えるかもしれません。
自称と本当の違い/選別
自称と本当の違いはいくつかポイントがありますが、これを知ることは見分け方を知ることにもなります。
まず1つ目のポイントは「偏差値」であり、自称進学校は偏差値が「50〜65の間」と、小さな世界のみで優秀な成績を残した生徒が集まる学校です。
本当の進学校は66から上の偏差値での学校に通うことになるため、全国レベルで優秀であると判断された人々との戦いを広げることになります。
つまり自称と本当は、そもそも土俵に立つレベルが違うことに加えて、全国レベルでの争いが必要となるのが本当の進学校となるわけです。
そして2つ目は「合格実績」の違いが目立ち、自称進学校は旧七帝が年一桁であるのに対して、本当の進学校は年に二桁以上であるのが普通です。
さらに自称進学校は浪人生がどうなっているのか?そこを把握することすら不可能ですが、本当の進学校はむしろ複数の大学に合格していたりします。
まず入学する前の目安として、見分けがつきやすいのは上記の2つであるので、この2つを本当の進学校と比較することで選別はより簡単となります。